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好き嫌いについて

気を抜くと好きなものより嫌いなものが増えていて困る。

好きなものが嫌いなものより多い人生のほうが、圧倒的にいいと思う。
嫌いなものが無いというのはちょっと嘘臭いから、嫌いなものが好きなものより少ないくらいがちょうどいい。

十数年前のことだが、私の祖母は嫌いなものをすぐに口に出して言う人だった。祖母以外の家族にもそういう傾向はあったが、祖母が特に顕著だった。
テレビの歌番組で(技術的な観点で)歌が下手な歌手が出たときなんか、特にそうだった。
歌番組に出る歌手が全員歌がうまいとは限らないし、そもそも技術的な歌のうまさで売っていない歌手だって山ほどいて、それはそれで私はいいと思う。しかし祖母は、技術的な歌のうまさを持たない歌手が許せないらしかった。自分がママさんコーラスを長年やっていた影響もあるかもしれない。歌番組を観ていると何かしらケチをつけるので、だんだん一緒に観たくなくなっていった。
ある時祖母に、「将来歌手になりたいと思わないか?」と聞かれたことがある。私は歌を習っていたわけでも特別歌がうまいわけでもなかったので、なぜ祖母が突然そんなことを聞いてきたのかは今でもわからない。
「なりたくない」
私はそう答えた。
「どうして」
「歌手になってテレビに出ても、おばあちゃんみたいな人に悪口を言われるだけだから」
祖母は笑っていた。

そんな祖母をはじめとする家族の影響なのか、私は家族が「嫌い」と言っていた人、物を今でもどうも好きになれない。自分が思う好き嫌いよりも、他人が表す好き嫌いのほうが、強く頭に残るのだと思う。
逆に、家族が「好き」と言っていた人、物はどうしても嫌いになれない。嫌われていても、本当はいいやつなんだろうなと思ったりする。会ったこともないのに。

私はなるべく誰かの好き嫌いに影響を与えたくないと思う。特に、誰かの嫌いなものを増やしたくはないなと思う。だから、もし自分に子供ができたら、私が幼い頃言われたように、子供の前で嫌いなもののことをできる限り言わないようにしようと今から決めている。
やはり、好きなものが嫌いなものより多い人生のほうが、いいと思っている。

だから嫌いなものが増えているなと自覚したときに軌道修正しなければと思うのだが、最近は好き嫌いに振り回されない人生がいちばん楽なのではないかと思い始めている。
好きも嫌いも存在しない平坦な世界。
延々と語学講座やためになる話を流しつづける、NHKラジオ第2放送のような。

自分がわからない

横浜である占い師に「あなたは○○な人ね」と言われ、「はあ、そうなんですか」と曖昧な返事をしていたら
「えっ、あなた自分のことがわからないの?」
と驚いた顔で言われました。

自分で自分のことがわからない。
当たり前だと思っていたのですが、違うのでしょうか。少なくとも私はわかりません。勿論、名前とか職業はちゃんと把握していますが、もっと広い意味での
「自分はどういう人間か」
ということです。

私は自分のことについては死ぬまでわからない気がします。自分と接する人それぞれに決めてもらえばいいと思っています。「自分」は星の数ほどあって、ある人にとってはAで別の人にとってはBというように違うもので、まとめることなんてできないから、当の私には「わからない」。

それでも、社会で生きていくため、個人の識別のためにおおまかな一つの「自分」というものは必要なのだと思います。占い師は私がそれをわかっていないと思い、驚いていたのでしょうか。確かに、自分の概要も私はよくわかっていない気がします。実はわかっているかどうかもわからないのですが。

私が自分についてわかっているのは、免許証に書かれている程度の最低限の情報だけかもしれない。私にとって免許証は、いろいろな意味で、身分証明書なのです。